はじめましてと言われた日

オタクただいま復活いたしました!

のぼる小寺さん

小寺さんの感想を書いていなかった。
第一印象は、「桐島」っぽいなぁ。
といっても桐島は映画は見ていなくて、小説のみの印象だけれども。

主人公はいるけれど主人公の目線ではなく
周りの人間によって主人公の像が明らかになる。
小寺さんは、ボルダリングが好きなフシギちゃん。
我々も小寺さんの「とりあえず登ってみます」という言葉通り、ボルダリングにしか興味がない女の子という印象だった。

小寺さんの家族構成も、どのような幼少期を過ごしたのかも中学生のころどんな子だったかも多くは描かれない。私たちに与えられた情報は、ラーメンが好きで中学の頃からボルダリングをしている。合唱の練習も率先として参加する真面目な子。鉛筆はナイフで削る。

それだけ。

けれど、それって本当に小寺さんのことわかってるのか。近藤くんが、ボルダリングをする小寺さんに惚れたように、目を奪われる小寺さんの姿はいつだってボルダリング姿だった。


最後のワンシーン。
賛否両論みたいだけれど、私は丁寧に繰り広げられた伏線を回収されたと思った。小寺さんだってただの人間なんだ。ネイルをしてもらったら嬉しいし、好意に対してNoと言える。園芸部が残した花が枯れていくのを可哀想と思うし、風船から手を離した子供を救いたいと思う。

自分と同じように、休日に自主練していた近藤くんを背中で感じていただろうし。もしかしたら、卓球に本気になっていく近藤くんを見ていたかもしれない。自分の大事な試合の後に、駆けつけてくれた近藤くんの「ガンバ」が力になったのかもしれない。

小寺さんは、あのとき初めて近藤くんに寄り添ったのではなくて、「寄り添いたい」と常日頃から思う恋する少女だったのかもしれない。


他己評価は難しい。
人は人のキャラクターを探す。私もずっと小寺さんをボルダリング好きのふしぎちゃんとして見ていた。でも、彼女がなぜボルダリングが好きなのか。彼女が、ほかに何が好きで、どんな家族構成で、どんな幼少期を過ごし、そして今の目標はなんなのか。
きっと近藤くんはここからもっと知りたいと思うのだろう。そして、小寺さんのことを知っていくのだろう。

なんのために映画に行くか

 

ちょっとこの話。

 

映画館になかなか軽くはいけない昨今。

というか、映画って高い…

大人1枚:1800円、大学生は1500円くらい、高校生でも1000円。サブスクだったら月700円くらい。2つ加入しても1回の映画より安いんです。

コロナの影響もあってか、サブスク配信と劇場公開が同時期な映画もあった。

 

では、なぜ人は映画館に行くのか。

 

その理由も様々だと思う。

超新作を見逃したくない。

映画館の非現実的な雰囲気が好き。

年換算するとサブスクより映画館の方がお得。

 

しかし、やはり映画離れは深刻で、

先日映画館に訪れた際も映画館慣れしてないというか…なんとなく要領の得ない若い人たちをチラホラ見かけたり

ミニシアターに行くと、観客は正月は黙って映画館で寅さん世代の方たちがほとんど

 

俳優もおそらく映画に出るよりも、民放のドラマに出た方が知名度や人気の獲得に直結するんだろう。

でも、私は工藤遥ちゃんに映画に出続けてほしい。

映画館でハルちゃんの演技が見たい。

 

映画館に何を見に行くか。

 

やっと本題…💦

ハルちゃんを映画館で見るのは3度目。

確信したことがあります。

映画俳優としての成長を見たい。

そして、どんな役でもいいから工藤遥を映画館で見続けたい。

 

この感覚は、ハルちゃんをライブで見たいと思ったときと似ていました。

 

映画館の音響で工藤遥の声が聞きたい。

映画館へ映画を見にいく理由は人それぞれ。

私はハルちゃんの声を聞きに映画館に行きたい。

スピーカーから出る第一声を聞いて、あのなんとも言えないハスキーにスウィートを混ぜた声を聞いた時、この声が武器だとも感じました。

 

映画館で音楽映画を観たことはありますか?

ベースの音が鳩尾を深く打つ感覚。ずどんと何か落ちるような響き。

ピアノの旋律が鼓膜を震わす感覚。

それらのハーモニーに脳を揺さぶられるような感動。

 

ハルちゃんの声を映画館のスピーカー越しに聴くと

ハスキーに鳩尾を打たれ、スウィートが鼓膜を震わせ、心地よくて、でもどこか胸の奥にしこりの残るようなそんな気持ちにさせられます。

 

もっと聞きたい。

もっと聞いてほしい。

 

あの日、ライブで聴いたときとは違う。

スピーカー越しだから聞こえるハルちゃんの響きを聞きたい。

 

 

だから、私は映画に行くのです。

 

 

 

 

#サヨナラまでの30分 みました。

音楽をしてると時間って平等じゃないんだ



時間は全員に平等に与えられた財産だ。
今日を生きるものには平等に24時間が与えられる
太陽は無情にも沈むし夜は否応なくくる。
平等じゃないものは、時間の価値だ。

5分が一瞬で…
でも思い返してみたら1時間も2時間も経った気もする

何かに夢中になった人なら、そんな感覚一度は感じたことがあると思う。


サヨナラまでの30分


前評判通り名作でした。
たくさんの人に知って欲しいと思える映画。
今年のNo.1かもしれない。


"青春"って瞬間の積み重ねだと思う。
青春を思い出すと軸のようなものじゃなくて
それこそ青写真みたいな一瞬一瞬を思い出す。

文化祭のあと、みんなで寝転がって疲れた〜って笑った記憶。
学校終わりに話し込んじゃって、いつのまにか夕方になってた記憶。
好きな人と座る距離が近いことを友達に揶揄われた記憶。
※ネタバレじゃないよ


本当に30分くらいの記憶なんだけど、それが今思い返すと大切すぎて、忘れたくないと思ってしまう。上書きなんてしたくない。


そういう思いが詰まった映画でした。


"瞬間"を共有してきたアキとなにも共有したことがない颯太。が1つの体を共有して、バンドメンバーと共鳴していく姿が、とても良かった。
特に好きなシーンが颯太がECHOLLで初めて歌うシーン。音楽で分かり合えるときってあるよね。そういうとき楽しいよね。っていうのが言葉なしでもわかる。

たしかにECHOLLは人気バンドだし、デビュー間近なんだけれどECHOLLのサウンドや曲に対して褒めたたえられてるシーンが出てこないのがいい。
映画内で、ECHOLLの音の原動力ははじめはアキ、そして颯太、カナ、バンドメンバー。誰かのため、売れるためじゃなくて自分たちのためにバンドをやってる。
それって青春だよなぁと思った。
青春って自分が自分のために生きられる時代。

颯太もカナも最後は自分のために走った。

それが全てなんだと思う。
自分が自分のために生きられているか。
誰かのエンジンで生きてないか。

ECHOLLネタバレあり



















ECHOLLの世間の評価が不明瞭の中、その評価は我々に委ねられる。音楽映画ってわりと周りの評価で、演者のパフォーマンスに説得力を持たせてることが多い気がして、すごく萎えてしまう。

でも、真昼の星座のアキとアキが消えてからの颯太の歌。それだけでECHOLLの明るい未来が見えるようなそんな歌唱シーン。
音楽映画でこれ以上ないラストを見せてくれた。
そして、ここまで良質な音楽映画になったのは出演陣のたしかな実力と音楽への愛があったから。

サヨナラまでの30分の魅力は充足感に尽きると思う
映画館では見てないけれど、エンドロールが終わり映画館から出た時に、よかったぁと思える充足感。
少しだけ今日が色づいた気がする。
そんな映画だった。

ポジティブ前ならえ


今日、またマスクをつけて家を出る。
コロナによって失ったものは多い。
学生最後の日々を失った。
卒業式も無くなった。
夢の街は遠ざかった。
友達を失った。
はじめてのアイドルを失った。
手一杯にあった希望はポロポロといなくなった。



ただ


明日の希望は失ったけれど
今日の尊さを得た

夢の街は遠ざかったけれど
今立つそこの美しさを知った

走る爽快感を失ったけれど
踏み締める一歩一歩がただ嬉しい。

時は平等で明日は必ずやってくる
とは限らないことを知った。

今日が今日であるように
明日が明日でありますように。

私には何もいう権利がない。〜はじめての推しが退所しました〜

知ったのは、当日の22:00ごろで
なにもかもしんどくてそのまま眠りました。

もうすぐで、会見予定ということで
その前に残しておこうと思います。


私には何もいう権利がありません。
好きだった頃の彼を思い、そのまま今の彼をみることをやめたのは随分と昔の話です。

しんどい。
辛い。
怖い。


そう思ってオタクをやめました。
彼がはじめての担当でした。
遠征したのも、多ステしたのも彼が最初で最後です。
握手会(じゃないけど)行ったのも、雑誌買い漁ったのも

今では軽く緩くオタクしている私が
1番熱量を持って好きでした。
もっと遠くへ行ってほしい
もっと目立ってほしい
もっと認められてほしい

ずっとずっと思ってたけど
彼が彼自身でそれを壊していくのをみるのが
怖かった。

どこかで変わってない。と思いたかったけれど
今思うのは、私が見ていた彼と彼の本質は違ったということ。

再三いってる、オタクは推しの全てを見れるわけじゃないってことを改めて感じました。


青春にはいつも手越祐也がいます。
今思い返せば楽しかった。小さなことで一喜一憂して、楽しくて、会えるのが嬉しくて。それだけで満足で…
ありがとう。
出会わせてくれて。
と思います。。。
思えます。


思春期の些細なもやもやを解消してくれたのも、友達関係が上手くいかなくてしんどかったときも
手越と彼のおかげで出会えたたくさんの友達のおかげでした。


夢を
出会いを
そして大きな愛をくれたことに変わりありません。

最後までファンを裏切るつもりはなく
手越祐也とアイドル・手越祐也を生きようとしていました。でも、周りがそれを許さなかった。
手越の中にある2つの手越祐也を、あなたは器用だから簡単に切り離せるけれど、世間は不器用だから許せませんでした。

私は、器用で不器用で愛がたくさんな手越が好きでした。
いつもファンに見つけてくれて、ありがとう。って言ってくれる手越が好きでした。
でもね、こちらこそなんだよ。
五万人もいるなかで、1人もこぼさず、うちわを振るファンを見たら眩しく笑ってくれるあなたが、私が私の好きなところたくさん見つけてくれました。
ありがとう。


私は、あの頃のアイドル・手越祐也を胸に
生きていきます。
だから手越も手越らしく生きて!
このままならいっそ。"らしく"いて。


そう願うばかりです。

青春のリーダーなんだって。

青春のリーダーって晴れるYA!の歌詞から取ってるのね。

音楽を生み出す楽しみ

https://youtu.be/fJexaDfahs8

「音楽を見つけ出したというより、目の前に与えられた」と語る彼が、今日、Music Stationに出演するエモさを感じてます。

音楽って、人間にとって1番簡単で1番難しい娯楽だと思う。口ずさめば、いつだって紡げるし言葉が分からなくたって良い。でも突き詰めればドからシまでの音階があって、フラットとシャープがあって、コードがあって、ジャンルがあって…奏でられるツールも無限大にある。

でも、口ずさむのも足音も、オーケストラも、プログラミングも全て平等に『自分が作り出した音』なんですよね。

音は誰にだって作り出せる
音楽で自分を表現する楽しさ


そういうものに気づくのっていつなんだろう?
小さい頃から楽器を習ってる人はもしかしたらすごく幼い頃から気付いてるかもしれない。
1番多いのは、中・高生のときかなぁ?
自分を見て欲しくてたまらない時期で
色んな思いが渦巻いている時期。


軽音部とかって、演奏してるだけで美しいと思うんです。キラキラ輝いてるじゃないですか。
上手い下手は度外視にして、自分から何か生み出せる、それをダイレクトに伝えられるってことを知り、伝えたい!が先行してる感じがすごく美しいなぁ。って思うんです。
売れる売れない関係なく、仲間と音を歌を紡ぐ美しさが青春だなぁ。と眩しく見えます。
これは、他の部活動でも一緒。部活動じゃなくても
中・高生って初めて『生み出す』を経験する時期だと思ってます。生み出せる自信を持った彼らの美しさは、時代を超えて眩しいしあの頃だけの刹那的なものでもあります。そして、そういう思い出っていつまでも心に深く残りますよね。


DISH//が青春のリーダーって言われる所以もここにあると思うんです。
彼らは売れたい!って思ってるだろうし
そういう音楽を与えられてる部分もあります。
けれど、ずっとDISH//で音楽を「生み出す」楽しさを忘れていない気がします。


ファンの人は与えられた活動が、自発的な活動になり、生み出していく活動になった過程をずっと見守ってきたのだからそりゃ彼らに青春を見てしまうだろうなぁ。

私も彼らに生み出す楽しさを思い出させてもらいました。この自粛期間に彼らが新しく生み出した6曲
その全てが音が跳ねててキラキラしてて、共に音楽を作るっていう本質を存分に楽しんでいる気がしました。
DISH//のキラーチューンをアコースティックver.にし、THE FIRST TAKE ver.からTHE HOME TAKEで新たなアレンジを加え…お客さんが見えない中で、DISH//DISH//に伝えたい音楽を届けて、それを//er*1が感じとる。

そういう温かい空間が見えました。

これは、もう見て・聞いて・感じて欲しい。

https://youtu.be/S-JC_oSwoY0
【#HOMEDISH】 - YouTube

*1:ファンの総称

降り方の決意

いつ、オタクを辞めるのかとか
オタクの辞め方とか
いわゆる『降り方』については、再三議論されてきたと思う。

これは、私の信条で私の『降り方』ってものを
自戒のために残しておきます。

なぜこれを残そうかと思ったのかという理由

  • TikTokをインストールしたこと

そこには、私の知らない世界があって
降りるときに、髭男のイエスタデイを流しながら
買ってきたグッズ類を捨てて
「推せなくてごめんね。ぴえん」というコメント共に
フォロワー(多分)に担降りを宣言するという儀式がありました。

"こりゃあ、異世界だわ。"

って最初は思ったんですけど、そういや過去に私も担降りブログ書いたことあるしブログ→TikTokとかインスタに世界が移っただけなのかなぁ?と解釈しました。
そして、そういう解釈をしてやっぱりTikTokの世界は理解できないなぁと思ったんです。

ちなみに、イエスタデイが主題歌の映画『HELLO WORLD』は、松坂桃李がいいよね。

  • 亡霊の存在が近くなったこと

いろんな界隈でいろんな種類の亡霊がいると思います。
不本意な形での解体となってしまったグループ
解散はしてはいないが、過去とは違う形で進み始めたグループ
脱退メンバーのオタク

色々あります。
そして、私ももうすぐ元自担が脱退メンバーになるやもしれません。あの頃の彼と今の彼を同じに考えたくないと、亡霊を発揮してるオタクです。

気持ちはわかるんだけれど、それってどうなの?って思うことも増えて
だからこの記事を残すことにしました。

亡霊とは

自分が亡霊になって思ったことは、降りててよかったなぁってことです(余計厄介)
降りてなかったら、勝手に代弁者になってたような気がする。
彼らのこと1mmも知らないくせに、「○○くんはこう思ってる」とか「Gにとって不本意な活動はやめてくれ」とか言ってしまいそうだった。

私は、彼らのこと何も知らないんだ。
降りるときにいつも実感することです。彼らの人生のほんの一面を見て、共感して、勝手に愛したり、勝手に救われたりしてるだけで
結局『思い』という部分に関しては、一方通行なんです。
「ファンのみんなの想い」が向こうに伝わることはあれど「私の思い」が彼らに伝わることはないんだなぁと。

だから、亡霊になんてなっても彼らに取り憑くこともできず、何かを変えることも出来ないんです。
進み始めた彼らの現状や意思を変える決定権なんてもともと持ち合わせちゃいないのだから

彼らに共感できなくなった我々に与えられた選択肢は
降りる
だけなんですよね。

ファンのみんなの想い

「ファンのみんなの想い」全部が一緒だとは限らない。ぐっちゃぐちゃの想いが、彼らに伝わる中で敏感に感じ取ってしまうのは、やっぱり批判の声だと思うんです。

こうしてほしい!とか改善の声、もっとこんな風なものをみたい!っていうのは、彼らのためになるかもしれないけれど
どうしようもないことを嘆いて、彼らに知られてしまうのってどうなんだろう。って思います。
向こうも人間です。当たり前に。
いろんな思いや我慢の中でその位置に立ってるのかもしれない。
それをわざわざ掘り返して、どうしようもないことを言われて、自分の無力さを感じてしまう。
そんな推しの姿私は見たくないです。

だから、私は基本的に静観を極めるようにしています。できてないけど

どうしようもないことはどうしようもないって諦めるしかないのです。
どうしようもないのだから。
そしてこの世はこんなことばかりなのだから。



改善しない現状に嘆くパワーがあるなら
推しと今を生きるためのパワーに回しましょう。
それが出来ないなら、あなたはあなたのためにそのパワーを発揮しましょう。



自戒を込めてここに残しておきます。