初めて逃げなかった1ヶ月
みんなに、疫病神と言われる。
それほど私は、グループの脱退、活動休止、解散を見届けてきた。そして、その度に新しい"推し"を見つけては、そこに逃げてきた。
『逃げてきた』という言葉を使うのは
発表からその日までを見ることができないから。
烏滸がましくも一緒に走りきることができないから。
私はその日に取り残され、彷徨い、また私の新しい光を見つけるまで悶々となにも見れない日々が続く。
そうすることしかできなかった。
4/29・昼
私は京都にいた。
そういえば、生でこういう発表を聞くのは初めてだ。
いま思え返せば
なぜあの日私は歩みを止めなかったのだろう。
なぜ私は今も工藤遥さんを愛し続けられるのだろう。
もっと長い間見てきて、応援してきた人たちでも
できなかったことができている。
私は12/11まで逃げなかった
そして1/12まで供給のない中工藤遥さんを愛し続けられた。
今も、また1ヶ月。
愛し続けられる自信がある。
『またね!』
と言われたんだ。と思い出す。
4/29
最後に工藤遥さんは言った。
またね!と言えるように…
12/11
彼女からの最後のメッセージは
またね!だった。
私にとって、私と工藤遥さんを繋ぐものは
またね!だ。
彼女がまたね!をくれたら
きっとまた。がある気がする。
そこまでたくさん愛をくれたから
そのまた。まで待ち続けられる。
初めて逃げなかった1ヶ月
案外楽しいものだった。
あぁ〜次のお仕事はなんなんだろう?
と想像したり
こんなに自分のことに手がつくようになるんだと
改めて実感したり
それでも頑張る源がないから、録画を見返したりして…
ハルちゃん、待てたわ。
早く出てきてくれたおかげってのもあるけどね…
さて、ハルちゃんが表舞台に立つ時
その間にハマっていたものなんかを纏めようかなぁ
と思っていたのですが
そんな必要もなかったみたい。